2009年01月01日

バタフライエフェクト(なんか思想っぽくなった長いから読めない人はよまんでよし!議論歓迎、批判は僕がへこみます)

映画レビュ!!!!

TVで録画した映画を観た

「バタフライ・エフェクト」☆4OR5
あんまし期待しないで見てたらすんごい面白かった。

パラレルワールドのお話は今でこそ世に溢れてるけど、記憶喪失の人間が日記を読み世界を変える、ってぇのはなかなか良かった。そこにミステリー的な要素もたっぷりだったし、ファンタジーっぽすぎなかったし。

最近のソレガシテーマ(自分が意図してるものではなく、違う環境それぞれがソレガシに訴えてくるテーマ)として運命、みたいなのがある。

生物が何万年も続けてきた生殖(命・世界を精製する)という行為が未だに快楽的であることも考えるとやっぱし遺伝子さんだとかそれによる本能さんだとかは「運命」にとって切り離せない関係だと思う。

ソレガシがこう考えたり、やっぱめんどいやって考えてるのもよく言う言葉で言うと「神様のレシピ」なのかもしれない。

この辺は今読んでる重力ピエロの影響がものすごく強いんだけど。

そんな中このバタフライエフェクトは「確定している状況を変える」ということの恐ろしさと無常さが見事にでてる。

うーん。世の中「運命は自分で切り開くもの」とか言うけどやっぱしソレガシは違うと思うんだよなぁ。

カマキリはスパコーした後に雄が命を提供することで有名だけど、まさにそれってこの世に存在を許された瞬間に決まってた死にざま、だと思う。
もし全てのカマキリの雄が
「私たちは運命に逆らう!」
と、パコリンコした後に逃げ出すとどうなるのかなぁとか。

考えると良くわかんなくなることを考えるのが好きなんですが、めんどくなってきた。

もう最近は「猫がカワイイ」のはなんでかとかそんな事まで気になりだした。


うーむ。やっぱし人間っていうのは特殊な存在なのでしょうかね?納得イカンけど。唯一あるのは美しいものを愛でる力、だけだと思うんだけど。

とにかく僕は運命を変えることはたぶん無理なんだと思ってます。

でもたぶん同じ運命をしょってる人でも幸せかどうかなんて結局自分が楽しいと思った事(「おもしろい」ではなくてね!)をやってるか否かなんじゃないかぁ。

そんなわけでソレガシは
「どうせ僕なんて」
な努力家への再生を目指すわけですよ!(今年のほうぷ(抱負)です。)

いやぁ、長かった。読んでくれた人には超感謝。あなたの心に一滴の濁りを!まぁほぼ自分メモなんだけどね。ソレガシものすっごい忘れっぽいから。
posted by ケンケン at 20:35| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | えいがを、みてみた。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>猫がカワイイ
ってよりも定春がかわゆいのだ。
それは愛があるからでして、そりゃ野良猫もかわいいけど定春はもっと可愛ゆしし。

要するにやっぱ愛だ!
Posted by めいこ at 2009年01月03日 18:14
うーむ…それはいかんなぁ。
愛には特定の対象があってはならんのです。
万物に対してあるべきなのです。
猫にもバッタにも木にも鉄にも。

つまり「愛」を語るなら家畜の豚と定春に区別があってはいけないのです。

おそらく「なぜ猫がかわいいのか」の最善の答えは「ヒトのエゴと優越感」なのだと思います。
Posted by けんけん at 2009年01月04日 14:45
そしたら
「愛」を語るならば恋人や友達とか異性やら同性やらを区別せずに平等に愛するってこと??
ってこと??

ってことは恋人を愛する気持ちはヒトのエゴと優越感??


あ、あと全く関係ないんだけど今日ね御茶ノ水行ってきたよーん
本間さんに会えたよーん

HOPEのこと聞いてきたからベラベラ喋ってきたよーん
Posted by めいこ at 2009年01月05日 23:31
久々コメント。

猫をかわいいと思うのはヒトの一方的な感情だわな。

「愛」とは別の話だが…

一般的な人間の「赤ちゃん」はその親に限らず大抵の人がかわいいと思うよね。

自身では無力であり、弱者であるので誰かに守られる必要がある。

その為には万人から嫌われるような形状では駄目。

誰からもかわいいと思われるような情報がDNAに組み込まれているのではないかと考えてみる。

そこで猫や小動物、小さなモノに対して何か共通する点があり、かわいいと思うのではなかろうか。(上記の例が無力や弱者というのもまたヒトの一方的な感情であろうが)
Posted by daisuke at 2009年01月06日 00:14
お、なかなかいい感じ。そんな感じだとおもうよDaiさーーーーん!!!

たぶんその「ヒト」の一方的な感情、こそが愛の一部なんだと思うのですよ。

めいさん、昔から言ってるように男女間(もしくは同性間も稀に有り得るか)に特別に存在してるのは「愛」ではなく「性欲」、言い換えれば「生殖願望」だと思うのですよ。
互いを尊重しあい支えあうの愛。
だがしかしチッスしたりパコリンコしたりは愛に拠る所ではないと僕は断言するね。

つまりヒトに許された勝手な感情こそが愛でそれが美しいことなのです。

他の動物がやってる行動さえも愛と呼ぶのはおかしい。
Posted by けんけん at 2009年01月10日 00:19
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。